|
「どういうことですかこれは!」
青年の怒声が狭い研究室に響き渡った。人気のない薄暗い部屋の冷え切った空気が、青年の怒気に中てられ、わずかに熱を帯びた。が、それも一瞬。発せられた熱は、すぐに冷たい銀色に吸収され、また元の凍えるように冷たい空気が場を満たした。
そんな冷たい部屋の中心で葛城大和は抑えることのできないほどの怒りを込めて、対峙する敵を睨み付ける。
「『天竜神の自我を崩壊させて内にある潜在能力を引き出す実験』だなんて……正気の沙汰じゃありませんよ!」
「勘違いするな」
白熱する大和を前にして怖気づくこともなく、ただただ静かにその憤怒に耳を傾けていた白髪の男は、閉じていた瞼を開いて大和を見た。まるで鋭いメスのような、目に映る全てを見下し、憎悪する目だった。
「『自我を崩壊させて』『潜在能力を引き出す』んじゃない。『潜在能力を引き出し』その結果として『自我が崩壊する』恐れがあると言うに過ぎん」
手段と結果を履き違えるな間抜け、と罵ると、つまらなさそうに鼻を鳴らせた。
「『恐れがある』だって……!? 貴方は5割の可能性を『恐れがある』に過ぎない、で片付けるつもりですか?」
「無論だろう? 我々が欲しいのは圧倒的な火力――今の神竜たちがその奥に秘めているもので、今のひ弱で貧弱な仮初の神竜の力ではない。
神竜は強い。たった一人でこの星を掌握し得るほどに、な」
口元を小さく歪めて嗤う男の姿に、大和は総毛立った。
「まさか貴様……っ!」
「そのまさか、さ。能力に覚醒していない神竜は『地竜神』と『天竜神』の2匹。確率は50%――しかも右に進むか左に進むか、という極めて単純な二択にまで絞り込むことに成功した」
一匹いれば世界を掌握することもできる。
確率50%の二択で成否が決まる。
そして、神竜は2匹。
ここから導き出される。
「空を捨駒にする気か!」
――たった、1つしかない。
大和の悲痛な叫びを聞いて、男が満足そうな笑顔を浮かべた。
「捨駒とは人聞きが悪い。確かに賭けであることは認めるが、確率は5分と5分。決して分のいい勝負とは言えんが、悪いという訳でもない。賭けてみる価値はあると思うが?」
嘘だった。ただの奇麗事だった。狂気を宿した男の瞳に映るのは、平気で命を弄ぶ残虐さと、その行為そのものを楽しむ下卑た凶気だった。
それを見た瞬間、大和の中で何かが決壊した。力強く床を蹴りつけ、その男に掴みかからんとする。が、その手が男に届く直前で暗闇の中から白い手が伸びてきて、逆に大和の手首を掴んだ。捻り、大和を跪かせると、空いていたもう一方の手で今度は大和の頭を押さえつけた。激痛に、大和の口から掠れた息が漏れた。
「よくやったな、陸。そのまま押さえつけていろ」
男の言葉でようやく、大和は自分を押さえ付けているのが陸であることに気付いた。
「……ゴメン、渚達が……」
辛そうな陸の呟きで、事態の全てを把握した。恐らく、実験と偽り何らかの毒薬を盛ったのだ。そして『協力すれば解毒剤を渡す』と嘘か誠か分らないような台詞で陸と海の協力を得た、というところだろう。
「このクソジジイ……ッ! 性根が腐ってやがる!」
「先程から口が過ぎるぞ、葛城大和研究員。代理とは言え私はこの研究所の所長、いや、もうじき正式に研究所長になる身だ。君も彼らのように、少しは身の程を知りたまえ」
仮所長の横で静かに佇んでいた海が、悔しそうに唇を噛んだ。仮所長が手元のボタンを押すと、入口からスーツに身を包んだSPが2人駆け寄ってきた。
「お父上に会わせてやれ」
白髪の男が言うと、SPは大和の両腕を掴んだ。上に乗って押さえ付けていた陸が退くと、SPは暴れる大和を引きずるように連れて部屋から出て行った。
「まったく、これだから馬鹿は好かん。そうは思わんか?」
仮所長の言葉に対し、陸と海は憎悪を篭めた眼差しで応えた。気の弱い人間なら気が触れてしまうほどの強い殺気を一身に受けてなお、男は平然としており、フン、と鼻を鳴らせた。
その時、爆発音がして小さな研究室が大きく揺れた。海と陸は顔を見合わせる。
「始まったな」
先の爆発に比べたら若干小さな、それでも鼓膜の機能を麻痺させるには十二分な量の音が断続的に部屋に響き渡った。男は椅子から立ち上がり――。
「只今より空をイレギュラーと認め、海、陸両名に命じる。――始末して来い」
――高らかに、その命を下した。
額に青筋を浮かべた陸が男に向かって歩み出る。が、海はそんな陸と仮所長の間に割って入った。一瞬呆となった陸を静かに首を横に振って止めると、陸は口惜しそうに拳を固く握りしめた。
海に促されるように陸は部屋を後にした。それに続いて海も扉へと歩いて行く。振り返り、一礼して、
「地獄に堕ちろ」
はっきりと聞こえるように悪態を吐いた。
「悪いが私は日本語と英語以外は不自由なものでな。それは実験動物語ではどういう意味の言葉だ?」
「……早く死ねって意味」
必死の口撃すらもあっさりと皮肉で返されてしまい、海は変わらぬ無表情の中に隠しきれない苛立ちを滲ませながら、捨て台詞を残して部屋から出て行った。
残された白髪の男は、誰もいない部屋で、勝ち誇ったような薄ら笑いを浮かべていた。
Humanoid Chimaera
53.堕ちる空
「クソッ!」
地上に向けて猛スピードで上昇する小さな箱の中で陸が苛立ちまぎれに放った拳を、海は軽く受け止めた。
「何よアイツッ、あの態度ッ! 頭でっかちのもやしの分際で偉そうにッ!」
「実際この研究所で一番偉いんだから仕様がない。葛城啓介研究所長が権力を失ってからの指導者のいないこの研究所が何とか回っているのはアイツのおかげ。人格は最低だけど、そこだけは評価すべき」
治まり切らぬ怒りを剥き出しにする陸を宥めるように、海は言った。
陸だってそんなことは分かっている。だがそれでも、悔しいものは悔しいのだ。
「……そんなことよりも、今後の作戦を立てよう」
「分かってるわよそんなこと!」
「分かってない。俺たちが今から相手にしようとしているのは空姉の――『天竜神』の、本来の姿。生半可な覚悟で行っても返り討ちにあうだけ」
海の青い瞳に気圧され、陸も冷静さを取り戻した。そして海が瞳に宿す悲壮なまでの決意に気付き、何も言えなくなってしまう。
「あの爺も言っていたことだけど、神竜は強い。一匹いれば世界を掌握できるというあの言葉も満更言い過ぎでもない。だからこそ、腹を決めて」
「腹を決めるって……どうする気よ?」
「俺達2人が引き出せる力は神竜本来の力の精々5割……いや、4割というところ。単純計算で2人の力を足しても、合わせて8割。勝算は、高くない」
「ぼやかさないでよ! 何が言いたいの!」
中々本論に入ろうとしない海に焦れた陸がもう一度拳を振るった。海はその拳を右手で掴み、そして強く握りしめる。
苦痛に歪んだ陸の顔を真剣に睨みながら、
「『天竜神』を殺す」
陸が必死に逃げていた結論を口にした。
「ッ……! アンタ、何を言って……ッ!」
「分かっているだろう? 俺達が全力で行っても勝ち目が高いとは言えないんだ。なら全力で、殺しに行くしかない」
「ふざけないでよっ! 空姉を殺すぐらいならいっそ私が……」
「陸ッ!」
海が一喝すると、陸は大きく肩を震わせた。普段物静か、というよりも無口無愛想きわまる海であるだけに、なおさら効果は抜群である。
「……お前はもう少し、自分の背負っているものを自覚しろ」
当の海もすぐに冷静になったのか、気まずそうに俯いて、呟くように言った。
「俺たちの肩に乗っているのは、この研究所に生きるすべての人間の命であり、キマイラの命であり――なにより、悠と渚の命だ。空姉の命と比べた時、どちらに天秤が傾くか、よく考えてみろ」
「比べてみろって、比べられるワケないでしょ!? どっちも私の大切な」
「比べるんだよ!」
再度響き渡る怒声に、陸は言いかけた言葉を飲み込まざる得なくなる。
「命の重さは天秤にはかけられない? 正論だ、至極正しい。だけどいつも正論で人を救える訳じゃない。俺たちが正論を振りかざして手をこまねいている間に、いくつもの命が指と指の間をすり抜けて、零れ落ちていくんだ。
それを知っても、なおお前は、誰も救えない正論を口に出来るか!?」
そう叫ぶ海の瞳に気圧され、陸は押し黙ってしまう。いつもは何の感情も映さない海の凍えるような蒼い瞳には、はっきりとした激情が浮かんでいた。
一通り言いたいことを言い終えたのだろう、しばらく肩を激しく上下させて荒く呼吸をしていた海は、ふぅ、と一つ大きく深呼吸をすると、最後に、
「……もうすぐ目標のいる階に着く。腹を決める決めないはお前に任せる。だけど、俺たちの背中にいるのは、この研究所に生きる全ての命であることは忘れないで」
とだけ言ってそっぽを向いてしまった。
(……腹を、決める……?)
海の言葉を口の中で反芻しながら、陸は頭を抱えた。
(……決められるわけないじゃない……ッ! 空姉さんも、渚も、悠も、この研究所のキマイラ達だってみんな大切なのよ……!? そんな、どちらかを選ぶなんて……)
葛藤する陸を乗せたエレベーターはそんなことお構いなしに上昇を続け、目的の階へと到着した。
ディスプレイが示したのは丁度地下40階。
「……好都合ね」
ここから下20階分、地下60階までは、ただ空き部屋が続くだけのフロアである。何故このような無駄極まる構造をしているかは全くの謎であるが、今はそれが都合が良い。床をぶち抜いて大暴れしても、20階分までなら犠牲なしで戦えるのである。攻撃の大雑把な陸としては願ったり叶ったりだ。
が、そんな陸の呟きを聞いて、海が小さく息を呑み、わずかに口元を引き攣らせた。
「……何よ」
陸がつまらなそうに眉を顰めて聞くと、海は目線をそらせて別に、と答えた。
「馬鹿に付ける薬はないってこと」
「あのねぇアンタ、こんなときぐらいその面白くもない減らず口何とか出来ないわけ?」
「……お前の馬鹿さ加減には減らず口を言いたくもなる」
「は?」
それってどういう意味よ、と言おうとして――足元にあいた大きな穴から、鼓膜を揺るがす爆音響いてきた。その音で、陸はもう一つ大切なことを思い出した。
無人地区が続く地下40階から地下60階までの無駄極まりない20階層分には、もう一つ謎な構造がある。それがこの足元に穿いた大きな穴である。地下20階分を一直線に貫いているこの大穴は直径20mにも及び、このような穴が全部で5つもあるのだ。そのいずれもが周囲に柵すら設けられておらず、にもかかわらず研究員が落ちたという例が一件も存在しないのは奇跡としか言いようがない。
(……奇跡……?)
その単語が、ちくりと陸の脳を刺した。
――そう、奇跡だ。いくらここにいるのがおつむの出来の良い研究員達だとしても、葛城研究所創設以来の決して短くはない期間に一件も事故がないのだから、それは紛れもなく奇跡であるはずなのだ。なのに。
(……)
喉に刺さった魚の小骨のように、すっきりとすることがない。何かが、おかしいのだ。
「ねぇ、う……ッ!!」
海に尋ねようとした陸は、再度足元から響いてきた轟音と、穴から現れた黒い塊に思考の全てを奪われた。
足元から突如として現れた鈍色は、小さく折りたたまれていた両手を、両足を、両翼を広げ、大きく鎌首をもたげた。
――それは、『竜』と呼ぶに相応しい存在だった。
西洋の竜を連想させるその全身は昏く光る鈍色の鱗に覆われ、太い四肢から生える大きな両手足の先には、見る者全てを総毛立たせる鋭利な爪を剥き出しにしている。かなり控えめに、胴体にちょこんと載っている頭部にはフクロウのような嘴があり――にも関わらず、その奥には獲物を噛み千切る牙が待ち構えている。
しかしその竜を語る上で何より重要視される物、それはその頭部にある、さらに小さな、2つの瞳。大きな体躯に比べて極めて小さく、他の生き物だったら見逃してしまいそうなその猛禽の眼からは、存在する全てを圧倒し、震え上がらせるほどの殺気と、直接は見えずともその動きが手に取るように分かってしまうほどの存在感を持っていた。
「姉さん……」
光を宿さぬ金色の瞳が、ぎょろりと陸を睨んだ。いつもは高圧的な視線で睨み返して悪態を吐く陸ですら、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなり、気弱にその瞳を見上げるしか出来なかった。
プレッシャーが段違いだった。圧し潰されて、心臓が破裂しそうだった。
呆とする陸に、天竜神は鋭く研ぎ澄まされた爪を振り下ろした。
「――ッ!」
駆け寄った海は全力で陸の頭を蹴り飛ばした。遠慮なし、助走付きの渾身の一撃に、陸は情けない悲鳴を一声上げて吹き飛ばされ、陸が先ほどまでいた場所に冷たい刃が突き刺さった。
「敵の前でぼうっとするな!」
ゆらりと立ち上がった陸を、海がいつもと変わらぬ口調で窘めた。その一言で陸の頭に満ちていた怒りや恐怖が消え、また迷いが生じた。
――敵。海は天竜神となった空をそう呼んだ。それはすなわち海が空を殺す覚悟をした、あるいはしようとしていることを示している。
――腹を、決めよう。
空姉一人の命と、この研究所に生きる数千、数万の命を天秤に掛けた時、どちらに傾くか、なんて考えるまでもない話である。
陸は右手を前に突き出し、全神経を手のひらに集中させた。同様に海を両手を突き出し、静かに目を閉じた。
分子が揺れた。周囲の熱を全て集めたかのように陸の周りが猛烈に熱くなり、劫火が上がった。一方で海の周囲では分子運動が停止し、海を中心として分厚い氷柱が形成された。
――覚悟は出来た。後はその決意を、形に移すだけ。
同時に息を吸い――
「「発動」」
その武具の名を、叫ぶ。
「絶対零度の神槍ッ!!」
「灼炎劫火の王剣ッ!!」
陸を包んでいた猛火が四散して消え、海を守っていた氷壁が砕けて飛び散った。
陸の右手に握られているのは灼熱の焔に包まれた細身の剣。刀身には炎を象った模様が細やかに刻み込まれており、その燃えさかる紅い焔と相俟って、見るものを圧倒する威厳と圧力感を放っている。
一方で、海が手にするのは陸の剣とは対の性質を持つ騎槍。2mを越す巨大な氷柱に人が持つ為の柄を取って付けただけのその槍は、陸の剣に比べて質素極まるものである。が、それが逆に海の隠そうともしない殺意を象徴しているようであり、鋭く尖った切っ先に背筋の凍らぬものなど異様はずもない。
共に北欧に伝わる伝説の中に登場する武具の名を冠したその武器は、主の緊張を汲み取るかのように、静かに、だが激しく猛る。
――空気が、凍る。2つの殺気を浴びる天竜神は、それでもなお平然とその場で羽撃き続ける。陸は唇を舐め、乾いてしまった唇をわずかに潤わせる。海はその冷めた瞳にわずかに熱を含ませ、射るように天竜神を睨んだ。
〜to be continued〜
お気に召しましたら是非下の三つを押してください。作者のやる気の源です。
Wandering Networkに投票
|